人に多くを望まないと決めたあたし。
人には、前ほどは望まなくなった。
おこがましいということ、献身的ではないということがわかったから。
けど、なんか、自分の生活に多くを望む自分がいる。
結局、自分の日常に満足していないのだな。
すばらしい友人、知人、とにかく周りにはすてきな人がいっぱいいる。
卒研もまんざらでもなく順調な気もするし。
写真もうまいこといってる。
新しいことを始めたくて、韓国語を勉強し始めたし、それも順調。
日々、アニメや映画も見ているし。
何に不満を感じよう。
この充たされている感に不満を感じているような気がする。
まったくもって、贅沢以外の何物でもない。
上り下がりが激しいことを指摘されて、
なるだけステイブルでいようと思っていろいろやってきたけど、
やっぱりあたしには、あたしの生活には、起伏の激しさが必要なのかも。
とか回帰してみたり。
落ちた分だけ、楽しいわけで。ひどいことがあったからこそ幸せだと思えるわけで。
なんか、嫌なこと起きないかなって期待するのは、
なんだか間違ってるようで、あたしにとってはとても理にかなっている。
ということは、今貧乏だから金持ちになりたいと思うけど、
やっぱり金持ちになったら、幸せじゃなくなるような気がする。
いい例として挙げれるのは、あたしの英語。
Cと過ごした半年間で、あたしの望んでいた英語力は想像以上にあがった。
その過程でも、今でも、得るものももちろんたくさんある。
けれど、その分、面倒くさいことも増えたし、嫌なこともたくさん起きた。
何かを得るということは何かを犠牲にするということだとしたら、
なんて悲惨な感情構造を人間は持ったものだ。
と嘆いたところで何がおこるわけでもなく。
発想の転換を余儀なくされてみる。
夢を持っているから、生き甲斐があるってもんで、
望んだ状態がやってきたのなら、また、その上を望む。
そういう野心家的発想。いわばハングリー精神。
いままでが忙しかったから、これくらいの忙しさは、なんともない。
忙しくしておかないといけないんだな。あたし。
今、卒研が、パソコンが仕事してる時間の方が多いから。
もっと時間の有効活用をせないかんな。
無理矢理TOEICでも受けてみようかな。
to do listにチェックをつけまくるのは相変わらず、快感だし。
やること増やさなな。
幸せを求める。
そんな夢を持っている間だけが、幸せなのかも。
飽きっぽいから。幸せになってしまったら本当の幸せを見失ってしまいそうだ。