結果から言うと、朝から何回も起き、
朝ご飯にガッツリ辛めの中華ニラスープを、
どんぶり2杯食べたおかげで、
もうそれはそれは、大変なことになった。
お腹がピーピー。
トイレから出てすぐに、トイレに向かう。っていう。
結局、家で安静をとりつつ、
中間発表で、なんて言うか考えつつ、
寝たり起きたり、映画を見るっていういつも通りの日。
むしろ、ピーピーなりだしたせいで、
昼も夜も一切油なしで、
うどん漬け。
残念だ。至極残念だ。
兎角、未だにピーピーは一触即発状態で、
恐らくコーヒーの一口でも飲めば、
再発必至といったところ。
こういう時ほど、
五体満足や健康というものが身に染みる。
マックとか、喫茶店のおいしいコーヒーとかで、
頭がいっぱいになってしまう。
やっちゃっても良いんだけれど、
もうそろそろ、大人として、学ばないといけないので、自粛。
っていうのはなんだかとっても理にかなっているようで、
理にかないすぎて本能に即していないと思う。
食べたいもの飲みたいものを自由に摂取することができること。
いいな。
やっぱり、本能と理性なんてものは、
あってないようなもので、
起きよう、あれやろう、これやろう、
そう心から思っていても、
できないのは、なんていうか、
本能でも理性でもなく。
惰性か。
惰性なのか。。
じゃあそんな惰性はいつから始まったのだ。
というか、習慣や癖を抜け出すにはどうしたらいいのだ。
人を変えることができるのは、その人自身だけ。
なんて良く言ったもので、
今のあたしには、まったくもって自分を変えれる気がしない。
むしろ、
実家で、朝叩き起こされて、朝ご飯を食べ、
学校に行って、
遊んで、
お家に帰って、
お風呂に入りなさいと怒られながらしぶしぶ入っていた頃の方が、
人任せではあるが、健康的に見える。
そんな、私の深層心理は、
深層なんて言葉をださなくてもいいくらい、
明らかで。
人に頼ってばっかり。そして、そこに安住しようとして、
ハナっから自分じゃできませんの一点張り。っていう。
その根本をどう調理しようかというのが、
今発生した、問題である。
仮定だが、
自分でできると思えば、
おそらく自分でできることなのだ。
だって、地球上にいるたくさんの人が、
日常的に、できるできないとか考える隙もなく、
やっていることなのだから。
例えばだ、自分を特別視したいっていうのはあるかな。
うん。
以下、あたしの思考過程。
あたし天才!
けど、全然評価してもらえない。
やっぱダメ人間。
天才は、日常的なことや、事務ができないものだ。
できなければ、自分が特別?
そしたら、みんな認めてくれる?
みたいなみたいな。
書きながらゾッとするほど、
あたしの思考が短絡的であることが発覚。
そもそも、ナンバーワンよりもオンリーワンなんて、
大嫌いだが、
こんなに、スカスカな理論ないだろうよ、過去の私よ。
そして、もう、これは仕方ないから認めよう。
私は短絡的である。
だから、気分やモチベーションが、
それはもう、そんじょそこらの遊園地にはないような
ジェットコースター。
じゃあ、どう上るか。
提案1。
自分は、天才ではないことを自覚して、
地道に、人並の生活をベースに上を目指す。
提案2。
自分は、天才かはわからないけれど、
「人となり」という言葉を理解しようとしながら、
生活をする。
少なくとも、「生活する」というのがキーワードだ。
研究とか、制作とかやってる間は、仕事ばりばり。
生活しようとすると、生活全てが崩壊していく。
このどえらい天秤を、
うまいこと傾きが少ないようにしていくことが、理想。
自分が自分を信じないで、誰が自分を信じるんだ。
とか、思っちゃうけど、
やっぱり、地球上にはもう途方もない人間がいて、
あたしの人生なんて、どうせちっぽけなもんだなって
同時に考えていると、
もう、それはそれは、
矛盾の宇宙。
この矛盾をあたしは、あたしのなかで、
折衝していかなければいけないんだろうな。
みんな、どうしてるんだろうな。
という、本日の思考実験、ここで終了。
後日に持ち越そうと思います。